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お便りありがとうございます

 投稿者:立花  投稿日:2015年 2月 2日(月)15時43分54秒
返信・引用
  寺坂さんは、私のような経歴のものとおっしゃいますが、それは私もおなじです。世間的な古代史の知識はわたしにはありません。とはいえ、現在の日本古代史はどこかおかしい、と思っているのは二人ともおなじでしょうか。  

『よみがえる古代』

 投稿者:寺坂国之メール  投稿日:2015年 1月11日(日)11時40分0秒
返信・引用 編集済
  謹啓
厳寒の候を迎えていますが、立花卓郎さまにおかれましては、益々ご清栄のことと、お慶び申し上げます。
さてこの度、『よみがえる古代』を上梓することができましたので、ご報告申し上げます。
本書は中国古代の短里(約77メートル)と長里(約430メートル)の問題をメインテーマとして、「邪馬台国問題」の解明を目指しているものです。
中国における古代史書の多くに、二つの里単位が混在している事実は、一般にも、あるいは古代史のマニアなどにも余り知られていないようです。しかしこれが「邪馬台国問題」を、混乱させた元凶の一つとなっていることは、その研究史が雄弁に物語っているようです。
一般に長里の方はポピュラーなのですが、短里の存在は「魏志倭人伝」などにおいて歴然としているにもかかわらず、全くのマイナーなので、その根本の物差しが何であるかさえも、確かな説はただの一つもありません。というよりはむしろ、短里自体の存在を危ぶむ論者が多数を占めているのが、これまでの古代史界の実態のようです。そうした中で精魂を傾けた結果、遂に短里の原点となる「貍歩(りほ)」の解明にこぎ着けることができました。
さらに今回、「魏志倭人伝」において「投馬国が不弥国および女王国と国境を接していた」という新発見があります。これは前著・『氷解する古代』で解明した「よみがえったもう一人の卑弥呼」と同様に古代史の盲点となっていて、未だかつてこの事実に気づいた歴史家はただの一人も存在していないようです。
更には「古代の闇からよみがえった大倭王、もう一人の卑弥呼!それは古代史の盲点だった!」「天の浮橋は博多湾に実在した!」「奴国は二度登場するから二国か? 実に分かりやすいウソだ!」「狗奴国と拘奴国は同音の別国だった!」といった問題についても論証しています。
私のような経歴の者が、「新発見」とか「解明」などとはおこがましいですが、古代の真実を一人でも多くの方にお伝えしたいという一心が書かせたものです。
立花卓郎さまのご趣旨にそうものではないかも知れませんが、異端ということでは一脈相通じるものがあるのではないかと思います。出来うることなら本書をご一読いただき、ご批判、ご教示を賜りたいと存じます。未熟者ではありますが、どうかよろしくお願い申し上げます。
                                                 謹白
 

講演会「行田の古代史を探る」開催!!

 投稿者:gyodatabiメール  投稿日:2014年 9月17日(水)23時11分14秒
返信・引用
  こんにちは、

告知失礼いたします。

10月4日午後1時から埼玉県行田市佐間の
行田市教育文化センター「みらい」で、
埼玉古墳群を始めとする行田の古代史を探る
講演会「行田の古代史を探る」が開催されます。

講師は、「機動戦士ガンダム」のキャラクターデザイン・作画監督として知られ、
「ヤマトタケル」など神話や古代史をテーマとした作品を描かれている
漫画家”安彦良和”先生 など下記の3名の先生方です!!

第1部
「古代に想いを馳せる~ワカタケル大王とオワケの臣~」
講師:漫画家 安彦良和 先生

第2部
「埼玉古墳群 七つの謎を解く」
 講師:埼玉考古学会会長 高橋一夫 先生
「さきたま地域の埴輪」
講師:大正大学教授 塚田良道 先生

入場料は無料です!

申し込みは、氏名、住所、電話番号、メールアドレス、
申し込み人数(3名まで)を記入して
bunka@city.gyoda.lg.jp までメールしてください。入場整理券をお送りいたします。
(先着順、定員になり次第締め切ります。)

ぜひ、お申込み、ご来場ください!!

http://www.city.gyoda.lg.jp/41/03/10/kodaisiwosagurukouenkai.html

 

常識日本史

 投稿者:立木観音  投稿日:2014年 2月17日(月)17時16分10秒
返信・引用
  最近10年間で古代史は目覚ましい発展をしました。理由はDNAの解析技術の進歩、発掘考古学の新発見、古文書の多元的な解読でしょうか。その中で素人学者(?)の素晴らしい研究が発表されています。ここで紹介する常識日本史はその集大成ともいえる論文です。興味ある方にはぜひご一読を勧めます。

http://godowngamblin.ninja-web.net/

 

講演会のお知らせ

 投稿者:じじメール  投稿日:2013年11月24日(日)20時43分30秒
返信・引用
  黄 當時教授(仏教大学)講演会
中国語学の専門家の立場から、金印「漢委奴国王」の読みと意味を解く。
1 日時 平成26年3月16日13:30~
2 場所 名古屋市市政資館 第3会議室
3 主催 古田史学の会・東海
4 会費 500円

http://www.geocities.co.jp/furutashigaku_tokai/index.htm

 

(無題)

 投稿者:murakamikaramu  投稿日:2013年 9月20日(金)22時59分44秒
返信・引用
  【古代史は石渡信一郎から始まる】
と信じています。ぜひ 以下の文 感想聞かせてください。。

『大和民族大移動』
*日本書紀編集者の良心の呵責を見抜いた石渡信一郎と林順治*

失礼無礼きわまりない話ですが、あなたが家系図を作成するとして、
実は、あなたのおじいさんが泥棒だったら、あなたはどうしますか?
昭和18年に隣の酒屋から酒5升盗んだ人だと正直に書けないですね。
でも、良心の呵責から、なんとかして泥棒行為を書き残したいですよね。
簡単です。じいさんに弟があり その架空人物が、盗んだ事にしましょう。
おっと、じいさんの弟はお墓が無くばれますね。では干支60年古くして
明治16年に、ひいひいひいじいさんの妹の夫が盗んだ事にしましょう。

書紀は天皇様の見事な万世一系の家系図を書いた推理小説です。
太古から日本を統治していた事としたい。でも本当の事も書きたかった。
そのため、架空人物を多数創造した。時代も原則60年単位で古くした。
これが、真実を残すために書紀が取らざるを得なかった編集方針です。
もちろん、真実そのままの事も、どうしても書けない真実もありました。

では、架空実在人物が新旧入り混じった小説からの真実の救出法は?
 ①実在したご先祖のお墓や使用物の年代を正しく求めましょう。
 ②貴重な金石文を正確に読みましょう。
 ③地名や人名の語源を冷静に考えましょう。
この3つを追求整理したあとで 初めて日本書紀を読むべきですね。

石渡信一郎は、まず先に、上記①②③を 徹底的に、探究しました。
①古墳や須恵器・土師器・埴輪の絶対年を正しく定めました。
 (過去の気象や磁気の変化を考古学の原則で追及した後に)
 例えば、弥生後期(5期)は260年頃から350年頃までとしている事
  及び 稲荷山古墳550年頃 で、鉄剣の辛亥年=531年
②七支刀・隅田八幡鏡・武寧王陵碑・稲荷山鉄剣を正確に解読した。
 (すみません。解読結果詳細は石渡氏と林氏の本を読んで下さい。)
③地名人名の語源を音韻変化の基本原則にのっとり追求しました。
 韓(カラ)⇒加夜(かや)・軽(かる)・茶屋(けや)・秦(はた)
大韓(カカラ)⇒大軽(おおかる)・各羅(かから)
南韓(ナムカラ)⇒難波(なには)・長柄(ながら)・中(なか)
東韓(スカラ) ⇒菅谷・早良(さわら)・日十(そか)・蘇我(そが)
大東韓(カスカラ)⇒飛鳥・春日・足柄・橿原・八幡(はちはた)
大東韓(キスカラ)⇒一須賀・石川・鬼前(きせ)・去来紗(いざさ)
大東韓(クスカラ)⇒樟葉・太秦・宇治(うじ)・太(ふつ)
昆支(コンキ)  ⇒誉田(ほむた)

今では信者のむらかみからむですが、石渡論の理解に半年以上です。
通説の古墳年代の根拠を知らず、通説年代は当たり前の事でした。
即ち、誉田山も大仙古墳も5世紀初頭と 無意識に思っていました。
さらに、百済皇子余昆が書紀では昆支だという事を忘却してました。

その昆支が倭の5王の武で、誉田山古墳に眠る応神でもある。
その弟が継体であり仁徳でもあり仁徳から武列までは架空である。
獲加多支鹵は欽明であり継体の子ではなく昆支の子である。
その息子がアメノタリシヒコで用明で蘇我馬子で聖徳太子でもある。
とくれば、なんでもありの飛んでも説をよくもここまでまじめに書くなあ。
石渡信一郎も林順治も トンデル人だ。と思ってしまいますよね。

しかし、音韻変化の原則から『飛鳥の語源は大東韓(かすから)だ』
の説明を熱心に 語っている文章の迫力には心を打たれました。
で、稲荷山鉄剣の辛亥年=531年で古代史を語る人は誰もいない。
の文章を読んだ時、この理論が他説を圧倒する事に気づきました。
通説の古墳年代を無意識に受け入れていた私がトンでいたのです。

なんと、小6の私の息子の社会の参考書にも書いてありましたが、
通説は稲荷山鉄剣の獲加多支鹵大王を書紀の中の雄略大王として
辛亥年=471年としてた。これを絶対基準に古墳年代を決めていた。
ワカタケルは大泊瀬幼武じゃない可能性の追求が甘いままでした。
おかしな話ですよね。書紀の記述が真実かどうか検討しているのに
書紀の記述の大泊瀬幼武の実在は真実からスタートしていたなんて。

結果的に、通説での全古墳の絶対年は60年以上古すぎたのです。
4世紀前半は弥生時代で、古墳時代はAD350年からなのです。
これは寒かった弥生後期5期が260年~340年頃でも裏付けれます。
『通説の古墳年代を 60年以上新しくして古代史を見直すべき』
との提案が石渡説の基本で他説との相違点で最重要ポイントです。
これが理解できないと石渡論はトンでる空想物語になります。

では、531年の根拠は?『完本聖徳太子はいなかった760円』より
①草冠ぬきの獲の字は 中国でも6世紀に初めて使用した。
②発掘関係隊長の斎藤忠も副葬品(銅わん等)から 531年説。
③稲荷山古墳と同年代の野々上窯の熱残留磁気測定結果。
④少し新しい江田船山古墳履が武寧王の墓の履と文様が似る。

石渡論は辛亥年=531年で須恵器や土師器や埴輪の年代を求めます。
典型例は『須恵器大成(田辺昭三)』を60年新しくしている事です。
で、全国の主要古墳年代を通説より基本的に60年新しく求めます。
さらに古鏡&刀の金石文と中国の文献で実存した人物の中から
その生存&死亡時期と照らし、各々の古墳披葬者を選び出します。
これで書紀に全く頼っていない石渡論の基本年表が完成します。

古墳------年代----被葬者
①箸墓-----385年頃-倭王旨(七支刀)
②渋谷向山古墳-410年頃
③行燈山古墳--430年頃-倭王讃(宋書)
④五社神古墳--440年頃-倭国王珍(宋書)
⑤中ツ山古墳--450年頃-倭国王済(宋書)
⑥石津山古墳--475年頃-倭国王興(宋書)
⑦誉田山古墳--510年頃-倭王武・余昆(宋書)・日十(隅田鏡)
⑧大仙古墳---520年頃-男弟王(隅田鏡)
⑨見瀬丸山古墳-570年頃-獲加多支鹵(稲荷山鉄剣)
⑩太子西山古墳-585年頃
⑪石舞台古墳--620年頃-阿毎多利思比孤(隋書)
⑫天武陵(旧)-645年頃-ワカミタフリ(隋書)
⑬持統陵(旧)-645年頃

で、ここから初めてこの年表を書紀の記述と照らして検証していきます。
このとき、先述の音韻変化の原則から求めていた語源が役に立ちます。
コンキ⇒ホムタ や スカラ⇒ソガ や ウズ⇒フツは典型例でしょう。
こうして以下の本当の大王様の家系図の一覧表が探し出せました。

古墳---被葬年-本名-書紀の中の名前【家系図】
①箸墓---393-旨-ミマキイリヒコ【初代】
②渋谷向山-409-?-イクメイリヒコ【①の子】
③行燈山--438-讃-イニシキイリイコ【②の子】
④五社神--442-珍-ワカキニイリヒコ&ワカタラシヒコ【③の弟】
⑤中ツ山--462-済-ホムタノマワカ&尾張連草香【③の孫】
⑥石津山--477-興-カワマタナカツヒコ&凡連【⑤の子】
⑦誉田山--507-武・日十・余昆-昆支&ホムタワケ【⑤の子の婿】
⑧大仙---531-男弟-ヲホト&オホサザキ【⑤の子の婿。⑦の弟】
⑨見瀬丸山-571-ワカタケル-アメクニオシヒラキヒロニワ&蘇我稲目【⑦の子】
⑩太子西山-585-?-ヌナクラノフトタマシキ【⑨の子】
⑪石舞台--622-アメノタリシホコ-タチバナノトヨヒ&聖徳&馬子【⑨の子】
⑫旧天武陵-645-ワカミタリフ-善徳&蘇我蝦夷【⑪の子】
⑬旧持統陵-645-?-蘇我入鹿【⑫の子】

大和民族は『うるわしの土地』を求め大陸から大量に移動してきました。
まずは西暦330年頃から半島南部を、460年頃からは百済を通って。
1回目の代表は旨(崇神)、2回目は武(応神)&男弟(継体)です。
で、各々の起因は1回目が楽浪郡の崩壊、2回目は高句麗の南下です。
書紀の隠したこの事実は、現代日本人には小説(書紀)よりも奇です。
というより、受け入れがたく、石渡論を無礼者と思いますよね。

しかし、考えようによっては当たり前だったのではないでしょうか?
大陸は寒かった。温暖な飢えない日本列島は『うるわしの土地』だった。
新羅を置き去り、自ら大和民族大移動し、海を渡り来ていたのですよね。
さあもう21世紀です。石渡論が世に出て4半世紀も経ってしまった。
ぼちぼち古墳を60年新しくして、真実を考え、受け入れませんか?。

隣家の酒樽から酒5升分のお金が入ったじいさんの名前の財布が
見つかった。稲荷山古墳の鉄剣・隅田八幡鏡・七支刀のことですよ。
じいさんはお酒を飲んでお酒を買いに行き転んだ。よかった。無実です。
ひいひいひいじいさんに妹夫妻はいなかった。雄略大王もいなかった。

まだまだまだまだ書きたいことありますが 最後にまとめを書きます。

石渡論は古墳年代を正しく求めスタートします。そのあとで書紀です。
ところが 不幸な通説は架空雄略大王の実在からスタートし迷走中。

石渡信一郎が真にすばらしいのは 日本書紀編集者たちが持つ
・ひとりの実在人物をふたり・さんにん・・と分けざえるを得ない苦悩。
・架空大王をひとりふたり・・30人31人と創造せざるを得ない苦悩。
・時代を60年120年180年240年・・神話へと古くせざえるを得ない苦悩。
すなわち、『真実が書きたい』と言う叫びを痛切に理解している事です。

見事な万世一系の筋書とは異なる飛んでた真実があるのだから
書紀は真実を書けば書くほどでたらめになる自己矛盾を持つ。
書紀は でたらめではない。でたらめにならざるを得なかった。
石渡説がトンでるのではない。飛ばされた真実を探しているのです。
『飛ばして申し訳ないという良心の呵責を持った家系図』も眠るはず。
これを見抜き信じるから、真実が救い出せるのです。すばらしいです。

私は近日、以上を前書きに『大和民族大移動』という本を買きます。
石渡信一郎を東大か京大の古代史教授に推挙するために。。で、
副題は『書紀編集者の良心の呵責を見抜いた石渡信一郎と林順治』


で、聖徳太子と蘇我馬子と用明大王 そして アメノタリシホコは
すべて たった一人の人物です。その人を分けて書いているのです。

とにかく皆さん 両先生の本 読んで古代史考えましょう。で、早いのは、
『古代史の謎を探る』か『倭韓交差』か『むらかみからむ』でネット検索。
 

三つの邪馬台国 2/1

 投稿者:立花メール  投稿日:2011年 5月27日(金)13時20分41秒
返信・引用
  「ツガル誌」では、邪馬台国の所在地として、佐賀市の西部、奈良県桜井市、奈良県生駒市とする三ケ所の名をあげています。そして不思議なことに、三つの邪馬台国には、さきいあげた多氏や田原の地名などが、かなりの度合いで関係してくるのです。

「ツガル誌」の『和田家資料1』によれば、「邪馬壱国は佐賀市の東にあたる神崎に、邪馬台国は佐賀市の西にあたる「嘉瀬川」のあたりにあった」、としています。この嘉瀬川については、佐賀市の西にある佐賀市大和町を当てるのが妥当と思われます。というのも大和町の名は、邪馬台国の名を暗示しており、大和町には、肥前の国の国府あとがあったとされているのです。
そしてもう一つ、ここに加えておきたいのが、「佐賀郡を支配していたのは高木氏」、とする『姓氏家系大辞典』の伝えです。高木系図によれば、高木氏が生まれたのは10世紀代とされていて、邪馬台国に結ばれるような気配はまったくありませんが、「高木」の名は、日本の最高神の一人とされるタカミムスビの別名、「高木の神」とまったく同じなのです。つまり、阿蘇山の日の国やタカミムスビを扱おうとするときには、高木氏との接触もありえるかもしれないのです。
 

異端書からの反論(1/2)

 投稿者:立花メール  投稿日:2011年 5月 7日(土)15時40分18秒
返信・引用
  『東日流外三郡誌』をはじめとする「ツガル誌」群書や、いくつかの異端系の書が偽書とされています。「ツガル誌」が偽書とされる理由は、同誌の著者である和田喜八郎氏の発言に、誰にでもすぐ分かるような「嘘」が多いことです。たとえば、『東日流外三郡誌』の初版本では、「同誌の三分の二は虫食いなどで失われており、生き残ったものを発表した」、としています。ところがこの話は嘘で、同誌は失われなどしないで、藤本光幸氏によって全冊が発表されているのです。
それでは、「ツガル誌」は偽書として捨て去るべき書なのか、となりますが、これもまた早とちりとなってしまいます。というのは、「ツガル誌」にいくつかの異端書くわえてやると、かなり思いがけない邪馬台国や、倭の五王王朝のすがたなどが浮んでくるのです。
ここではまず、「ツガル誌」に、韓国系の異端書とされる『桓檀古記』、宇佐家に伝わるとされる『宇佐家伝承』、それに韓国の歴史書とされる『三国史記』から浮ぶ邪馬台国の様相を見ておきたいとおもいます。
『桓檀古記』は現在のところ偽書とされていますが、『宇佐家伝承』とのあいだに、意外な一致点があらわれてきます。
 

異端書からの反論(2/2)

 投稿者:立花メール  投稿日:2011年 5月 7日(土)15時12分3秒
返信・引用
  『桓檀古記』
飢饉のため百済から逃れたキョウフは、阿蘇山に移って多羅国を立てる、これを多婆羅 (タバラ) 国ともいう。阿蘇山の南に阿羅国があるが多羅国とは親しい関係にある。熊襲城がある。これは九州の熊本城である。

『宇佐家伝承』
阿蘇地方に、北方系天孫族によって立てられた日の国があり、祖をツキヨミ、太祖をタカミムスビとよぶ。『古事記』の編者である太安万侶は、日の国から出ている。いっぽう、南九州に南方系天孫族によって立てられた日子の国があり、アマテラスや紀氏は日子の国から出ている。

『地名辞書』
奈良市の東方にある此瀬町の茶畑から、太安万侶の墓誌が出土している。当地には田原中学校や小学校などがある。いっぽう、橿原市の北部にあたる田原本町の多には、多神社があり、当地に多氏の発祥地であったと考えられている。

これらの結果によれば、多氏と田原の地名には強い関係があると考えられ、『桓檀古記』のいう阿蘇山の多羅国は、「多婆羅国」と、読んでみるべきとなります。というのは、タバラは、「田原」と書くことかできるのです。偽書派の代表選手である田原実氏などは、これは偶然の一致としていますが、もう少し考え不みるべきかもしれません。
 

(無題)

 投稿者:古代史好き  投稿日:2010年10月17日(日)17時05分21秒
返信・引用
  日本人種の霊的考察(上)
http://www1.odn.ne.jp/~jyourei/nihonnkinnnoreitekikousatujyou.html
日本人種の霊的考察(中)
http://www1.odn.ne.jp/~jyourei/nihonnjinnnoreitekikousatutyuu.html
日本人種の霊的考察(下)
http://www1.odn.ne.jp/~jyourei/nihonnjinnsyunoreitekikousatuge.html

異端書ではないけれども参考になりますかね?
 

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